2004年にあたり省みる

脚本家の微笑み返し

 

 謹賀新年

 昨年末、小学校1年生の娘が40度近くの発熱で熱性痙攣を起こし、4日間入院した。痙攣を起こした場所が小児科のロビーだったため処置が早く大事に至らなかったが、応急処置後、そこからさらに救急車で40分かけてK市内の病院に運ばなければならず、私にとっては大騒動だった。目覚めない娘を運ぶ救急車のサイレンを聞きながら、いろいろなことを思った。
 この娘が生まれたとき、子どもとのかかわりに親の打算や思惑を持ち込むことを決してすまいと誓ったものだ。しかし、今、本当にそれが守られているかどうか胸に手を当てて考えると、恥ずかしいことばかりが思い出される。自分の価値観を押し付けて、自分の気に入るような子どもに仕立てようとする傲慢さが確かにあった。こういう状況にならなければ省みられないとは、なんと愚かなことか。

 さて、劇団いぶきの2003年は、充電期間とは名ばかりの休眠年だった。2002年が超多忙であった反動で、物足りなく思っておられる団員、またファンもいらっしゃるでしょう。しかし、2003年にあまり動かなかったことは、結果的によかったように思う。省みる時間、冷静に考える時間が私たちには必要だった。

 で、省みている間に、夫々の劇団員の状況、つまり家庭や職場などの状況も変わってきている。であれば、それらの状況にあわせて、無理せずゆっくり動く年だといいなあと、私は思っているのだけど、「ちゃんと新作だけは書くんでしょうね」というツッコミも聞こえそうではある。でも私はちゃんと、2003年中、まったく何も書かなかったということを省みている人間なので、だいじょうぶだと思う。たぶん…。

 「わたし、病院の待合室の椅子に寝てから何も覚えてなくて、気が付いたときは入院してた」と、娘は退院して2日目に、入院に至る状況を省みようとするかのような発言をした。そこで私は、娘が気を失っている間、医者や看護士、救急隊員のみなさんがいかに尽くしてくれたかを語ったのだけれど、幼い心には、自分が危険な状態であったということが受け止めきれなくて恐怖のあまり泣き出してしまった。つまりまた私は、自分の価値観を押し付けていい格好をしようとしたのであり、省みても省みても依然、愚かな私なのだった。

劇団いぶき

劇団いぶきは、鹿児島県知覧町で40年以上活動している劇団です。