わかろうとすること

脚本家の微笑み返し

 

 劇団いぶきの「ナム!」という作品では、99歳11ヶ月でこの世を去った女性の生き様を描いている。99歳であれば明治、大正、昭和、平成の4時代を生きたことになる。いくつもの戦争や、変貌する社会を生きてきた人ということになるが、実際にはそういう人の心情を私にわかろう筈がない。なんて無責任な!しかし、わかったような顔をするのはもっと無責任なのではっきりわからないと言わなければならない。
 
 わからなくても、想像することはできる。想像して思うことはできる。その心情をより確かに思うために努力することもできる。芝居をつくるというのはそうした作業なのだと思っている。

 人の心はわからない。バカボンのママは、どうしてバカボンのパパと結婚しようと考えたのかもわからない。ただ、あの破天荒過ぎる無邪気さと純真さに魅せられたからだと想像することはできる。あるいはバカボンのパパが資産家であるなどとママが勘違いしたことによる金目当ての結婚だったと決め付ける人もいるだろう。
 もしあなたが本当のところを知りたければ、まず保険の外交員になって、パパの留守中にママを訪ねるがよかろう。まずは他愛のない世間話を引用しながら警戒心をとることができれば、パパの保険の話をしながら探りを入れてみるのだ。もしパパとの生活に少し疲れているようであれば、ママはしんみりとしてしまうかも知れない。そこであざとく、ハジメちゃんをたかいたかいしながら「カラオケでもいって気分転換しない」などと水を向けてみよう。これに乗ってきたらこっちのもの、酔ったうえにカラオケで気分が高揚したママから事の顛末を聞き出すことに成功するかも知れない。しかし、結局は想像するしかないのだ。ママが酔いに任せて言った事実に基づいて、想像するしかないのだ。ママとて、パパとの生活に疲れた今となって過去の自分の心情を正確に語れるかわからないではないか。自分の心だってよくわからないのだから。

 世にステレオタイプという言葉があるように、固定的な観念や価値観で人の心情を決め付けようとする人がいる。けれど、それでは芝居はできない。わからないということから始まって、わかろうとすること、それは自分が引きずっている観念や価値観を、ひとまず押さえてかからねばならないのかも知れない。もしかしたらそれが世に言う「優しさ」ということなのかも知れない。そうか、優しくないといい芝居はつくれないってことか…。

劇団いぶき

劇団いぶきは、鹿児島県知覧町で40年以上活動している劇団です。