ノートに鉛筆

脚本家の微笑み返し

 

 前回は「脚本書き用ソフト」について書いた。が、どんなに道具が優れていたって、それですばらしい作品が書ける訳ではない…と言う人がいる。それは違う。私は8年前に買ったパソコンをだましだまし使って書いているが、最新鋭機種を使えば頭で何も考えていなくても、指がキーボードに吸い付いて勝手に動くということを知っている。キーボードに指を乗せているだけで、テレビを見たり居眠りしていても脚本が出来あがっているのだ。メシを食べている間は足の指をキーボードに乗せておけばよろしい。たいていのプロの脚本家はそうして書いているから、面白い脚本を量産できる。そしてがっぽり儲けて、また高価な最新機種を購入するのだ。…と言う人がいる。(いるか?)が、それは違う。そうして機械に頼って書いていた脚本家は、やがて機械が意思を持ち始めるや、機械たちから「あれは俺が書いてやってたんだ!俺がゴーストライターでい!」と告発されるのだ。しかしもはや件の脚本家は頭の使い方を忘れていて、機械の叛乱になすすべもなく、世間の目をのがれて、うらぶれた長屋でひっそりと傘を貼りながら生きていくしかあるまい。

 だから私は、古いパソコンを買い換えようとしないのだ…というのは嘘で、金がないだけだ。

 本来文章は原稿用紙に手で書くものだ。しかも日本語であれば縦書きでだ。最近はインターネットライフが青少年にも浸透し、やれメールだのチャットだのと、キーボードや携帯電話のボタン操作で作文することをよしとする風潮があるが、文章は便箋や原稿用紙に万年筆や筆で書くもの、また絵は画用紙にクレヨンや絵の具で描くものだということを忘れてはならない。しかし、かく言う私も、もはや手で文字を書く術を忘れてしまった。鉛筆の握り方を子どもに教えようとして鼻の穴に鉛筆を突っ込んでいた。

 ノートに鉛筆で書いていた頃は、脳みそがまだ若くて、今よりは面白いアイデアを思いついていた。しかし、アイデアがあるからといってそれを脚本に出来るかどうかは別だ。自分なりのドラマツルギ-を持たなければ脚本にはできない。そのためには小説をたくさん読んだり、芝居や映画を観ることはもちろん大切だけれど、一番大切なのは自分で脚本をつくっていく経験を積み重ねることだと思う。そして、私はまだその経験を積み重ねている途中だが、ノートに鉛筆で書いていたあの頃よりは、少しはやり方が分かってきた。しかし今度はアイデアが出てこないと来た。たまにはノートに鉛筆で書いてみればあの若い頃の感性が目覚めるかもしれないという淡い期待もあるが、便利な道具を手に入れた今となっては、なかなか帰れないものだ。

劇団いぶき

劇団いぶきは、鹿児島県知覧町で40年以上活動している劇団です。