芸能人はハワイが好き

脚本家の微笑み返し

 

 4月。その日私は人間ドックのため鹿児島市内の病院に行っていた。1日ドックだが受付順が遅かったため4時前にようやく終わり帰途についた。途中ミスタードーナッツに寄って注文の品を待っていたその時、携帯電話にibukiメーリングリストからのmailが来た。発信元は舞台監督の妻で女優のmayumiだった。

「ほたるかえるのインターネットライブを観たハワイ知覧人会の人から、ハワイでの公演依頼が来ました。ついにいぶきも世界進出だ!」

 知覧町が岩切章太郎賞という観光振興に尽力した団体や人に贈られる権威ある賞を受賞することになり、その授賞式のアトラクションとしてわが劇団が「ほたる かえる」を上演した。この授賞式の模様は町のHPでライブ中継され、「ほたる かえる」も流れたと思われる。だからそれをハワイの人が見ることは可能だった訳だが…「ハワイ知覧人会」って聞いたことないぞ。しかし、そんなことはどうでもよかった。

 劇団いぶきは、東京、愛知、大阪の知覧人会でこの「ほたる かえる」を上演させていただいた。だからそういう依頼があるということに違和感はなかった。ただ、かなり旅費がかかる。ハワイ知覧人会の方々がどの程度負担してくれるのだろうか。……「ハワイ知覧人会」なんてあるのか?しかし、そんなことはどうでもよかった。

 知覧町の南部には海外へ出稼ぎや、移民していった方々が多くいると言われている。戦前はハワイや南米への移民は国によって奨励されていたし、正規のルートによらずに米国本土に出稼ぎに渡った方々もいたそうだ。だからハワイに知覧出身の方やその二世、三世の方々がおられても不思議はない。それにしても「ハワイ知覧人会」って初めて聞いた。しかし、そんなことはどうでもよかった。

 かつて、NHKで放送された山田太一脚本のドラマ「あめりかものがたり」を思い出す。豊かな暮らしを夢見て渡った移民団を責めさいなむ過酷な現実。その中で移民された日本人のみなさんは、懸命に現在の地位を築いてこられた。そんな歴史を持つハワイ在住の日系知覧系の方が、どんな思いで遠く知覧町の配信するHPをご覧になっていたのだろう。ワイキキのビーチで波に足を洗わせるたびに、知覧松ヶ浦海岸で幼なじみのツルキッつぁんと戯れた日々を思ったに違いない。菜の花畑ごしに望んだ開聞岳の記憶をダイヤモンドヘッドに重ね合わせれば、潮風に溶けるようなハワイアンの旋律にも、どこかあの知覧節の素朴な匂いを感じる。するといつしか寄り添っていた黒髪のハワイ娘が、耳に飾ったハイビスカスをそっと手渡す、するとその花びらに涙がひとしずく落ちるのだった。そんな日々を重ねてきた方々と、芝居の時間を過ごせるなんて、ああ「ハワイ知覧人会」…聞いたことないけどそんなことはどうでもいい。

 公演会場は、海辺の波音の聞こえるところにしてもらおう。もちろん日が暮れてから、外には松明の火がゆらめき、静寂な中にも優しい空気が流れている。私達のオリジナル曲「知覧茶摘唄」はハワイの波音に合うだろう。芝居が終わって、ハワイ在住のみなさんの苦労話を聞いた後、私は椰子の木にもたれながら、ひとりでその苦労話を反芻して感傷に浸るだろう。いつしか寄り添っていた黒髪のハワイ娘が、耳に飾ったハイビスカスの花を、旅の記念にと差し出すに違いない。ハワイ娘の瞳も涙に濡れている。すると突然ドラムの音が鳴って、上半身裸の男が火のついた棒を振りまわして踊っている。私もアロハシャツを脱ぎ捨てて、男から火のついた棒を奪い取り踊り出す。黒髪のハワイ娘が微笑んでいる。私が足で火の棒を回したり、さらには火を吹いたりすると、場内はやんやの拍手。これを見ていたハワイ民族舞踊団の座長が、私と契約を結びたいと言ってくるから困ったものだ。ああそんな私のハワイを現実のものとしてくれる「ハワイ知覧人会」。もうそんな団体があろうがなかろうが知ったことではない!

 そこへ、再びmayumiからのmail。「エイプリルフールなので許してね!」…。

 ぬあにぃ!エイプリルフールだとぉ!……私のハワイはどうしてくれるのだ!
 先般、鹿児島県最大手新聞社「南日本新聞」の「黒ヂョカ」という各種失敗談や笑えるネタを載せるコーナーに、このmayumiの悪行はさらされた。自業自得だ。このコラムにも早く書いて糾弾したかったのだが、「黒ヂョカ」に載るまで待っていたのだ。ただし、「黒ヂョカ」への情報源は私ではないぞ。私以外の正義の誰かだろう。しかし、今どき…エイプリルフールを真面目にやる人なんているとは思わなかった。まあ、来年も期待しときます。  

劇団いぶき

劇団いぶきは、鹿児島県知覧町で40年以上活動している劇団です。