カップラーメンと魚肉ソーセージと初めての芝居。

脚本家の微笑み返し

 

 劇団いぶきの大女優M.Hさんが、私の明け方の夢に登場した。M.Hさんは田舎の雑貨屋みたいなところでカップラーメンを大量に買い占めようとしていた。「そんなにラーメンを買ってどうするの?」と訊ねると、「今ならソーセージがついてるのよ!」と睨まれた。片手にはマルハの魚肉ソーセージが握られていた。

 カップラーメンと魚肉ソーセージは、思えば私の学生時代の主食だった。中でも日清のチリトマトヌードルとマルハの魚肉ソーセージ、そしてバイト代が入って裕福なときにはさんまの缶詰がついて、この三角食べはたまらなかった。思い出すと口の中に味覚が甦ってくる。

 そうだ、あの頃は田舎に帰ってアマチュア劇団に入ろうなんて思ってもいなかったが、すでに井上ひさしやつかこうへいの戯曲にハマっていた。別役実、竹内銃一郎、北村想、野田英樹、渡辺えり子…。戯曲を読みながら舞台を想像して楽しんでいた。私が芝居に強く興味を持つようになったあのとき、チリトマトヌードルと魚肉ソーセージが側らにあった。日清のチリトマトヌードルはもう発売されていないのだろうか?

 誰か、チリトマトヌードルについて知っている方は掲示板でお知らせ下さい。

 芝居に興味を持ったのはその頃だが、初めてナマの芝居を見たのはいつだったか。もっと時を遡らなければならない。
 中学のときに体育館で2度ほど芝居を見た記憶がある。学校のいわゆる芸術鑑賞会だったと思われる。「ベニスの商人」と「吉四六さん」だった。どっちが先だったかは忘れた。「吉四六さん」には生徒が村の子ども役で特別出演した。頭のいい生徒から選ばれた。当然私はフロアーから見ていた。私の記憶が正しければ、劇団いぶき音楽主任dbuは村の子どもをやったのではないか?すでにこの頃、プロの役者とコラボしていたのか?

 高校のときも体育館で芝居を見た。またまた「ベニスの商人」だった。なんでこう「ベニスの商人」なんだ?ただ中学のとき見たものより女優の衣装が派手だった。
高校時代の私は中学時代よりさらに馬鹿だった。私も含めて私の周りに座っていた男たちは、とても正しい鑑賞態度とは言い難かった。「ベニス」をナントカと言い替えて笑っていた。きっと、頭脳明晰感性豊かな多くの生徒には有意義な芸術鑑賞会だったろうが、ベニスをナントカと言い替えて笑っているような連中に意味があったとは思えない。

 劇団いぶきは先般、鹿児島水産高校の芸術鑑賞会で「ナム!」を公演した。自分の経験からして生徒のみなさんがちゃんと見てくれるか心配だった。ところが、2時間半もの間、私語もなくほとんどの生徒が舞台に見入っていた。休憩なしの2時間半、ほぼ同じ姿勢で黙って席に座っているというのは拷問に近い筈だ。それを耐えたということは「ナム!」のストーリーに入りこんでいたと考えてもいいと勝手に思う。ただし反応はつかみにくかった。いつもの公演のような、笑い声や熱気を帯びた拍手はなかった。これが初めてのナマの芝居だったとすると「劇団いぶき」でよかったのだろうか?

 数日後、鹿児島県最大手新聞社の南日本新聞の読者投稿欄に、鹿児島水産高校の2年生による「ナム!」の感想が掲載された。芝居を見て命の大切さを学んだとあった。感じてくれていた。ありがたかった。君は「ベニス」をナントカと言い替えて笑っていた連中とは違う。「劇団いぶき」が君の初めての劇団であったことを誇りに思います。

 ところで、チリトマトヌードルと魚肉ソーセージとさんま缶にはもう一つ、ジョージアをつけなければいけなかったことを忘れていた。まったくあの頃私はジョージア中毒にかかっていて、食後はジョージアを飲みながら煙草を吸わなければ気がすまなかったのだ。あんな食生活で満足していたとは、よほど食に関する感性が貧しいのだろう。

 さて、大女優M.Hさんは、あの大量のカップラーメンをどうするつもりだったのか?そう言えば既に1個のカップラーメンの蓋を剥いで湯を注いでいた。食べたのだろうか?今度会ったとき教えてください。

劇団いぶき

劇団いぶきは、鹿児島県知覧町で40年以上活動している劇団です。