生きることから逃げてはいけない(2010年)

脚本家の微笑み返し

 

 鹿児島市民文化ホール第一は、拍手で揺れた。カーテンコールの幕が降りた瞬間、握手を求める僕に、高校生らが抱きついてきた。劇団員全員で、目に涙を浮かべながら、ハイタッチし、ハグする。代表が「撤収開始!」と叫ぶまでのほんの数分の出来事が、今でも僕の心の中に暖かい日だまりとしてある。16歳から50代までの劇団員が、年齢も社会的立場も超えて、一つのことを共になし得た仲間となった瞬間だった。僕たちは生きていた!

 僕はこれまで、「ナム!」という作品をつくったことを、心に大きな負担と感じることが度々あった。「生きることから逃げてはいけない」という少し面映いサブタイトルは、目の前の困難から逃げ出したいと考える僕の足枷(かせ)にもなった。

 僕は「ナム!」の作者だ。「ナム!」で語られる一つひとつのセリフや歌に、僕自身が励まされ、芝居の終盤ではいつも舞台袖で硬直する。そして、大きな勇気をもらいながら、しかし反面、僕はまたこれで「生きることから逃げることは許されない」立場に自らを追いやったのだと緊張もするのだ。

 もちろん、誰しも生きることから逃げてはいけない。

 芝居をやっていると、人の生死を取り扱うことが多い。落語の「粗忽長屋」や「らくだ」のように、人の死を笑いのネタにすることだってある。あるいは、劇団いぶきの「ほたる かえる」のように、現実に起こった死を語りながら、そう、リアルに語ろうとしながら、実は舞台演出というフィルターによって現実的でない「芝居の死」につくりかえてしまっているのではないかと、罪に感じることがある。

 しかたがないことだ。人々の営みを舞台に乗せて芝居をつくれば、死も、生きることのつらさも、人々の営みの中に自然と置かれていて、それは芝居になってしまう。芝居はすべてつくりごとだけれど、死や生きることのつらさを避けてつくったとところで、つくりごとがさらに、ひどいつくりごとになってしまうだけのことだ。

 「芝居の死」を観客の感性で、「意味のある死」にするために、演劇の力がある。

 「ナム!」では、「死」と「生きることのつらさ」を描いた。しかし、本当に描きたかったのは「生きることの喜び」であったことがおわかりいただけただろうか。タキさんが「ソマンズシ(そば雑炊)」のことを嬉々と語り、そしてその母の味は確実に息子の脳裏に刷り込まれていたことが分かったときの喜びや、ユキノに宿った新しい命が、彼女の人生の希望になるだろうという予感。この芝居はそれら「生きることの喜び」を描いた作品であったことが、観客に伝わっただろうか。

 「生きることから逃げてはいけない。なぜなら、生きれば必ず喜びがある。気付こうとしさえすれば、人生のかたわらにいくらでも喜びはある」

 あの、カーテンコールを待ち望む手拍子、口笛、歓声、幕が下りて、10代から50代の人間が混じり合って手をとり喜び合った瞬間は、僕の人生のたくさんの喜びの中のひとつとして、いつまでも大切にしたい。

劇団いぶき

劇団いぶきは、鹿児島県知覧町で40年以上活動している劇団です。