ぬかるんだ道を、屋根に拡声器を取り付けた保冷車が、演歌をがなり立てながらやってくると、畑仕事を終えたばかりのかっぽう着姿の主婦らが三々五々集まってくる。60年代から70年代の前半まで私の住んでいる地域でよく見られた光景だ。子どもらは、その保冷車を「走る魚屋さん」と呼んでいた。
保冷車を運転してきた兄ちゃんは、その荷台に乗り込み、ザッとトロ箱の氷を払いのけた。かしましい主婦らは、口々に兄ちゃんと値引きの交渉をしながら魚を買うのだった。一方、保冷車の助手席には髪の長いお姉ちゃんが物憂げに、兄ちゃんの商売が終わるのを待っていた。
あるとき、保冷車はいつもより少し早い時間に来たので、すぐには主婦らが集まらなかった。そこで、兄ちゃんは助手席にお姉ちゃんを残して何か用を足しにいったらしい。その兄ちゃんがいない時間帯に主婦らが集まってしまった。主婦らはお姉ちゃんに魚を売るように要求したが、お姉ちゃんは助手席から動かなかった。まもなく兄ちゃんが帰ってきて主婦らからいきさつを聞いた。やおら兄ちゃんはお姉ちゃんを助手席から引きずり降ろして、横っ面を張ったのだ。その行為に主婦らはたじろがなかった。「そげんこつすいもんじゃね(そんなことするもんじゃない)」と兄ちゃんを叱ると、兄ちゃんは「すんません」とペコリと頭を下げた。兄ちゃんの薄いシャツの胸が肌蹴ていた。胸の乳首の上から肩にかけて大きな菊の花が描かれていた。子どもの私はその絵に見とれてしまった。初めて見たTattooは美しく、怖いという気持ちはおきなかった。力強いおばちゃんたちといっしょにいたからかも知れない。
大人になってTattooを見た。私は一人で映画館に入り通路側の席に座った。前にはスポーツ刈りの男が座っていた。私が足を組替えたとき、男の肘に足があたってしまった。男が振り返ったので、「スイマセン」と軽く詫びたら、黙って前を向いてくれた。が、私が蹴ってしまった男の腕を見て、心臓がひっくり返った。半そでのポロシャツの下に、絵がはみ出していた。心臓が高鳴り息ができないほどだった。男に気付かれないように席を立ち映画館を出た。大人になって見たTattooは死ぬほど恐ろしかった。