「のう天気」とは、脳みその形をした雲が出ている様子でないことは、周知のとおりであるが、脳みその形をした雲を眺めてノホホンとしている人を「のう天気な人」と呼んでもよもや差し支えあるまい。
「のうてんき」を辞書で引くと「能天気」と「脳天気」の二つの漢字が示されているが、漢字が違うと言葉の持つ雰囲気も変わろうというものだ。
「能天気」の場合、世間知らずのオットリとしたお嬢様が良縁に恵まれて結婚したものの、実業家の夫は、妻が自分の仕事に無頓着なことをいいことに事業を拡大し、さらに六本木のマンションに愛人を住まわせていたが、放漫経営が災いして破綻、妻と愛犬ショコラが暮らす邸宅も債権者の手に落ちようとしているのに、そんなこととは知らずに相変わらず気のおけない奥様たちと能見物に興じているくだんの妻を、誰しも想像されることだろう。
しかし、これが「脳天気」だと、19世紀頃のとある国で、音楽の才能に恵まれながら貧しくなかなか世に出れなかった青年が、やっと後ろ盾となる富豪に縁があり、国王の前で才能を披露したところ、これに嫉妬した王宮付音楽家の陰謀で暴漢に襲われ聴覚を失ってしまう。しかし彼の才能を惜しんだ富豪は、東洋の黄金の国から大枚をはたいて、天才外科医ブラックジャックを呼び寄せ、聴力を取り戻すための脳外科手術を受けさせるが、実は雇ったブラックジャックがとんだ偽者で、下手な手術で、ブチッと脳のどこかの神経細胞を切ってしまったために、青年の聴覚はもどったものの、矢が降ろうが盾が降ろうが、ニコニコ笑ってピアノを引き続けるだけの人生を送らざるを得なくなったという天才音楽家を、多くの人が想像するに決まっている。
でだ。こんなふうに「のうてんき」について真摯に掘り下げようとしている私を、ノウテンキだと見る向きもあるかも知れないが、それは誤解というものである。平仮名を読み書きするときよりも、漢字を読み書きするときの方がより複雑なプロセスでより多くの脳神経細胞が使われるのだから、「能天気」と「脳天気」を一緒くたにするなと、声を大にして今こそ社会に問わなければならないと考える。
などと、とりあえず、そろそろコラムを書こうかなとパソコンに向かうも、適当なテーマが見つからないので、今日は脈略もなく「のうてんき」について考えてみました。なお、このコラムで共に掘り下げたいテーマがありましたら、mailでお知らせください。ただし、マジネタお断り。ノウテンキなご提案をお願いしまーす。