「頭をハンマーで殴られたような衝撃」という比喩を使う人がいる。実際に頭をハンマーで殴られたことがなければ、それがどれほどの衝撃なのかわからない筈なのだが、使う方も聞く方も妙に納得している。頭をハンマーで殴られた場合、それは生死にかかわるほどの衝撃であろう。おそらく9割方即死、助かっても脳が正常に機能するとは思えないので、本当に頭をハンマーで殴られた人が、「頭をハンマーで殴られたような」などと発言することはないのだ。だから「頭をハンマーで殴られたような」と言う人は、頭をハンマーで殴られたことがない人である。それならば「猪木に延髄蹴りを喰らったような」とか、「ボブサップにビルの5階から地面に叩きつけられたような」とか「二頭のティラノザウルスに頭と足を噛みつかれてそのまま引き裂かれたような」などと言ってもいいのではないかという意見に頷けなくもない。
しかし、この世にハンマーを知らない人はいない。もし知らなくても「それは直径5cm、高さ12cmほどの鋼鉄製の円柱の中ほどに22cmほどの木製の柄を取り付けたもので、通常は木材に釘を打ち込む際に0.5秒間隔で断続的にその釘を叩く道具です」などと簡単に説明できるが、猪木を知らない人に猪木を説明するには、猪木の生い立ちや春一番との関係、更には彼の性癖やアゴの長さまでを懇切丁寧に説明せねばなるまい。これがボブサップになるとどうであろう。説明する労力は筆舌に尽くしがたい。
つまり猪木やボブサプを持ち出しての比喩は、万人に認められる比喩にはなり得ないのであって、もはや猪木やボブサップはハンマーの前にひれ伏さなければならないのだ。
同じように「目の中に入れても痛くないほど可愛い」という人がいるが、子供を目の中にいれたことのある人は、有史以来いないと思われる。なぜなら、生まれたばかりの乳児であっても、身長が20cmから30cm、体重が2kgから3kgくらいだと思われるが、これを目にいれるとなると、目の横幅が少なくとも40cm程度必要であり、その目を2つ配置するための顔は、横幅が90cm程度は必要となる。これほど顔の大きな人がいたという記録を私は知らないので、子供を目の中にいれたことのある人というのはあり得ないのである。しかし、子供を目の中にいれるとどれほど痛いかということは容易に想像できるので、それを痛くないと言わせるほど可愛いというのは愛の極みと言ってもよい。
同じように「ヘソでお茶を沸かす」という人がいるが……。もうよそう。