起承転結

脚本家の微笑み返し

 


~ 脚本家の微笑み返し ~

起承転結

   小2の娘が、夏休みの宿題のひとつである作文の書き方を教えろと言って来た。そんなのわたしにわかろう筈がない。「心にあるがままを書くがよかろう」と一度は答えたものの、バカ親魂がすぐに頭をもたげて、いろいろアドバイスしてしまう。だが、彼女の表現自体に手を入れたくない。作文のアドバイスってむずかしい。

 問題は構成。今、新作のストーリー構成で、私も悩んでいる。どんなにディテールが優れていても、全体の展開が面白くない芝居は、途中であきてしまうものである。そこでかの有名な起承転結にお出まし願う。

 起承転結構成法は、万能ではない。論文やレポートを書くときに起承転結なんか意識して書いている人がいるだろうか。実は私もこうしてコラムを書くときに、起承転結なんか考えていない。いきあたりばったりだ。しかし、小説や芝居を考えるときにこんなに便利な呪文はない。

 私は、コピーライティングの勉強をしたことがある。印刷媒体の広告に必ずあるボディコピーってものをご存知か?キャッチコピーでオッと思わせ、サブコピーでへーと思わせ、ボディコピーでなるほどと思わせる。だいたい400字くらいの短文で、その商品がいかに優れ、そしてそれを買うとどんなに幸せになるのかを述べ、読む人を説得しなければならない。このときに、起承転結は、究極のセオリーだった。起承転結のリズムは悪魔のリズムのごとく、読む人をその気にさせてしまうのだ。フフフフフ…。

 以前、構成なんか意識せずにいきあたりばったりに芝居の脚本を書いていたことがあった。書き上げたものもあるし、途中で投げ出したものもある。ましてや、子どもの頃、作文を書くときには、下書きもメモもなしに、いきなり清書していた。で、途中で投げ出した作文もずいぶんある。

 だいたい、構成表なんか作ってから作文を書く小学2年生なんかいるだろうか?でも、いたらおもしろそうだ。

 私は、4枚のコピー用紙を取り出して、その1枚に「だれに、なんのお話をしてあげるの?」と書いた。子どもにとって、万人に対して書くという行為は理解しがたいと思う。子どもの世界はまだ狭い。訴求対象をはっきりした方が書きやすいだろう。次の1枚に、「そのときどんなようすだったの?」と書いた。さらに3枚目が肝心だ。「ほかの人はどんなようすだった?こまったことはおこらなかった?」と書いてみた。“転”は難しい。が、ストーリーが生きるか死ぬかはこの“転”にかかっているのだ。

 素人の書く芝居で、つまらない芝居はたいていにおいてこの“転”が欠けている。いつ事件が起きるのだと思って観ているうちに幕が降りてしまったことが何度かある。もちろん、小学2年生の作文に芝居のようなエンターテイメント性を求めるわけにもいかないので、それまでの流れと違った視点で見るということをここで考えさせたかった。

 そして4枚目の紙に、「いちばんおしえたいことはなに?」と書いてこの4枚の紙に彼女の考えをメモさせた。2年生らしく短いセンテンスで、箇条書きっぽくメモができた時点で、それを1枚目から順番に作文用紙に清書させておしまい。文法的に間違っていて意味が伝わらないところを直しただけで、表現自体はいじっていない。むしろ多少間違った文法も子どもらしい可愛さがあるものは直さなかった。で、今まで読んだことのないヘンだけど面白い作文が出来上がった。娘が日頃ヘンなことを考えていることもわかった。

 充実感のある創作タイムを親子で味わって満足したのだが、私の方の新作の構成はまだ終わっていない。“転”で悩んでいるのだ。

劇団いぶき

劇団いぶきは、鹿児島県知覧町で40年以上活動している劇団です。