いぶき的五大ニュース

脚本家の微笑み返し

 

 2004年を振りかえり、勝手に5大ニュースを発表する。

1.「ナム!」再演成功。

 実は脚本担当者としては、「ナム!」は、これまで20年間携わってきた芝居づくりの、「あの作品ではもっとこうしたかった」という思いをすべて解消するべく執筆した作品だった。

 本筋に劇中劇の筋を絡めるアイデアは15年前「前略土の上から(全国青年大会出場作品)」で使ったもので、二つの筋のテーマや方向性をもっと重ね合わせたものをつくりたかった。それと、シリアスとコメディーのバランス、分けるのではなく融合できないか、つまり“泣けるコメディー”あるいは“笑える悲劇”。さらに、「奇跡」の“双葉”、「恋と神様とねぷた囃しと」の“語り部婆さん”といった狂言回し的な登場人物をもっと効果的に筋に絡められないか…などなど。

 で、うまくいったかというと…うーん。わからない!また新たな課題が見つかったりして…。だから、やめられずに、20年もだらだらと書きつづけているのかな。

2.初舞台!

 「ナム!」再演で初めてibukiの舞台を踏んだのは6人。うち5人はまったくの未経験者だったのだから驚く。

 私の初舞台は、青年団時代に県青年大会に参加した「勧善懲悪愛堂々」でのヤクザの親分役だったなあ。ストーリーも支離滅裂なら、ヤクザの親分も何の凄みもなくて、よく恥ずかしくもなくやったものだよなあ。

 2回目は、交通安全キャンペーンイベントのアトラクションでやった「帰らざる日のために(現舞台監督が脚本執筆)」のカメの役だった。これはケッコウうけたんだけど、劇が終わってから司会の猪俣睦彦(MBC所属)さんにインタビューされたとき、アガって素になってしまった。カメになりきれなかったんだな。

 3回目は「涙小僧」の教師役だったけど、やっぱりアガって、マドレーヌを食う芝居で、口に入れすぎてセリフをカンでたもんな。観客は演出だと思って笑ってたけど。役者としての私は、あんまりいい思い出がないなあ。

 「ナム!」再演の6人は、きっといい思い出になったろう。うらやましい。

3.今年も慰問!

 老人福祉施設などの夏祭りに今年も声をかけていただいて出演することができた。「地域に根ざす」をモットーとする劇団にはなくてはならない活動だ。

4.CD発売!

 ついに出た。

 私は脚本担当 兼 演出担当 兼 音楽班だったりする。私が音楽班だと言うと、「え?音楽班に入りたいの?」などと言う劇団員もいるが、違うのだ!私は実は音楽班なのだ。

 中学高校時代はギターも弾けた。高校のときにドラムもやっていた。そうなのです。私は実は音楽班だったのです。「報われる郷」というナンバーでは、和太鼓でリズムを刻んでいるのです。しかし、私のリズムに不満な方々も多く、結局私はギターに合わせて太鼓を叩いてしまっているのです。だけど私は音楽班なんです。

 このCDにも「報われる郷」が収録されている。まったく乱れない太鼓のリズム!…レコーディングした記憶がないけど、きっと記憶に残らないくらい日常のことなのだ。私が音楽班だということは!
 
5.新作「きつね。」脚本脱稿!

Kuma「結局、11月までかかったけど、もし9月に完成していたら…」
Dbu「うん?」
Kuma「もし、9月に完成しているとすると、今書き上げたものとはぜんぜん違う芝居なんだよね」
Dbu「ふーん」
Kuma「だから、11月までかかったていうのは、それなりに意味のあることだって言うこと」
Dbu「でも…」
Kuma「うん?」
Dbu「9月に完成していれば、今書き上げたものとはぜんぜん違うだろうけど、それはそれでよかったのでは?」
Kuma「……」
Dbu「9月に完成していれば、それはそれなりに意味があったってこと」
Kuma「確かに…」

劇団いぶき

劇団いぶきは、鹿児島県知覧町で40年以上活動している劇団です。