来年、劇団いぶきは創設30周年を迎える。(劇団いぶきについて)30年前、私はまだ15歳で、この町に劇団が産声をあげたことなど知らなかった。
今、15歳のときのことを振り返ると、遥か遠い空のむこうのことのような気がするが、私が劇団いぶきに携わり始めた20年まえのことを思うと、つい昨日のことのような気もする。
現在の劇団員で創設時を知る者はいない。それどころか、まだこの世にいなかった人にとっては、その「遠い昔のこと」という感覚は、1896年に川上音二郎が川上座を創ったことと大差はあるまい。あるいは、1603年に出雲の阿国が京都で歌舞伎を初演したのとどっちが古いの?という人もいるかも知れないし、2500年前にギリシア演劇が発祥したのより昔のこと?とトボケて聞く役者に、「だから30年前だって言ってるだろう!」と突っ込みを入れなければならないだろう。
それほどの未知の長い年月を歩んできた劇団であり、そして私の知っている時間をあっというまに突っ走ってきた劇団である。
しかし、私が15歳のときに、よくぞ先輩方が、この劇団を創ってくださったものだと感謝する。もし私に超能力があれば、15歳のあの時代に戻り、劇団創設の苦労をともに味わい、ともに泣き、ともに笑い、酒を酌み交わし、肩を組みながら1977年にヒットした森田公一とトップギャランの青春時代を歌いたいものだ。
劇団いぶきは、もともとは知覧町連合青年団の演劇部として創設された。だから、劇団員は青年団卒業とともに劇団から去らねばならなかった。創設時のメンバーが今いないのはそうした理由からだ。しかし、私たちが勝手に青年団から切り離して、市民劇団にしてしまった。勝手にというのは、「創設された先輩方にお伺いもたてずに」という意味だ。
私たちが劇団いぶきを青年団から切り離さなければ、劇団いぶきは今青年団活動の中で、どんな位置を占めていただろうか。また、私たちは、劇団いぶきを引き継ぐという形でなくとも新たに劇団を創設していたかも知れない。しかし、その劇団は、果たして現在のような活動ができるほどに成長できていただろうか。
それでもよかったのかも知れない。いや、その方がよかったのかも知れない。しかし、もうこうなってしまった。「もう、こうなってしまったのよ。責任とってちょうだいね」と、劇団いぶきは、シーツにくるまり虚ろな目をしながら、私の背中を見つめている。「それでは、お前のために、美しい物語をつくってやろう」などとかっこよく笑うことはできないが、産み出してくださった先輩方や、応援してくださっている方々に感謝しつつ、こっちがお払い箱になるまで、行けるとこまで行ってみるしかあるまい