「ストレス解消のために趣味を持ちましょう」という意味では、私にとって劇団活動は趣味ではない。ひとつ芝居が終わると「早く次のホンを書かねば」と、ない頭をひねらなければならない。芝居をつくるときも、芝居をしない間も、いつも追われているような気がしている。
だから私は趣味を持たなければならない。私のいくつかのストレス解消法のうち一番安易なのがサッカーテレビ観戦だ。居間に寝っ転がりながら90分間は心を解放していられる。
初めてサッカーを熱心にテレビ観戦したのは、平成2年第69回全国高校サッカー選手権からだったかも知れない。前園真聖を擁する鹿児島実業と国見高校が決勝でぶつかり、鹿児島実業が惜しくも優勝を逃した。それから冬の高校サッカーのシーズンを楽しみにするようになった。その3年後にJリーグが誕生し、前園真聖は横浜フリューゲルスに入団した。私もあの伝説の天皇杯まで、横浜フリューゲルスを応援していた。ちゃんとファンクラブにも入っていた。
横浜フリューゲルスは、鹿児島市を準ホームタウンにしていた。Jリーグ発足のブームの頃は、鴨池陸上競技場にも観客があふれ、チケットもなかなか手に入らなかった。私も鴨池の試合は毎回ナマで観戦し、そのナマ観戦を重ねるごとに、青いバンダナを巻いたり、ファンクラブ員の証であるマフラーを首にかけたりするようになり、いつしか「マモーレモーリ!」とか大声を出していた。
そういえば、我らが劇団いぶき代表は、伝説のキャプテン前田浩二と親族の結婚式かなにかで会って話をしたことがあるとか言ってた。うらやましい!私なら「スッゲー知り合いで超友達」と言いふらすかもしれないが、そうしないところが代表のおくゆかしさか。
年を経るごとに鴨池陸上競技場にも空席が目立つようになったが、私は「マモーレモーリ」が「マモーレリュウジ」になり「マモーレセイゴ」になっても鴨池に足を運んで大声を出していた。
横浜フリューゲルが、1999年あの伝説の天皇杯優勝を最後に消滅してから私の第2期サッカーファン時代が始まることになり、まだ今年を振り返るとこまでいっていないので、このコラムを第1部とすることに今決めたのだが、この話面白い?