「六十歳ですが、いまだに野球チームに入っていて、試合にも出ます」という人がいたら、「元気でいいですね。ぜひ続けてください」とみんな言うだろう。「五十になって仕事も忙しいんだけど、若い頃からやっていたブラスバンドはやめられなくて、年に一度のコンサートではトランペットを吹くんだ」と言う人がいたら、「かっこいい。今度聴かせてくださいよ」と言うかもしれない。
アマチュア劇団の役者はどうだ?
「私は、左足で左の耳を掻けるくらい体が柔らかい。前屈をして自分の尻をなめることもできるし、首を回して後頭部を見ることだってできる。先日は腕組みをしていたら、かた結びになってしまって解くのに苦労した。私は身体をいかようにも変化させることができる。さらに私には、500デシベルの声量がある。私の産声で震度4の地震が起きてしまって以来、私は声を潜めて泣かなければならなかったから、乳児期には苦労したものだ。今では場に合わせてコントロールしているが、昨日は、10キロ離れた友人の家に電話するのに電話番号を忘れてしまったので、電話せず肉声で話しかけたら友人の方から慌てて電話が来て助かった。そんなわけで携帯電話いらずだ。私の声の最大の特徴は、一度に1万人のキャラクターの声を出せるということだ。舌を瞬時に一万回動かしてしゃべるのだが、幼児から年寄り、さらに男女もちゃんと喋り分けている。そのときに鬼太郎のお父さんの声を入れることは忘れていない。そんな私だから、世界最強の舞台俳優になれると思ったのだが、役者にはさらにまた別の能力が備わっていなければならないらしい。それで、四十五にもなって、いまだに田舎で他の仕事をしながらアマチュア劇団の役者をやっているんですよ」
と、私が言ったら「プッ。アマチュア劇団の役者?しかも田舎で?もういい歳なんだから、ちゃんと山に柴刈りに行ったり、川に洗濯に行ったり、まじめな社会人として暮らしなさいよ。プッ」と言われてしまうだろうか?言われないかもしれないが、言われそうな恐怖感に苛まれる。
劇団いぶきは今年、劇団創立30年目だ。そのうち私は20年くらい携わってきた。劇団員の中心メンバーは40歳を超えてしまった。私を含め、このメンバーが「もうこの歳では恥ずかしいから辞める」といえば、劇団いぶきもなくなってしまうだろう。すると、芝居というものがこの地から消えてしまう。つまり、20年もやっていて、この地に演劇という文化を根付かせることができなかった。
もし、あと10年、劇団いぶきを続けるとしたら、「私はアマチュア劇団の役者です」と何歳になっても堂々と言える、つまり、技術と感性に裏打ちされた演劇人を養成し、演劇という文化をしっかりと根付かせる活動にも取り組むべきではないのか?
…なーんてことを、先般、ワークショップに参加している間、ずっと考えていたかと言うとそうではなくて、ストレッチにひいひい言ってて、モノを考える余裕もありませんでした。