「じいちゃんの日記帳」制作記

脚本家の微笑み返し

 

「じいちゃんの日記帳」制作記1

衣装!(舞台監督ありがとう篇)
 脚本書き上げて代表にみせたとき、代表には「コレ、客がついてこれるのか?」と言われた。僕がつくる話は、いつも決してまっすぐ行かない。行かせない。右に左に大きく蛇行しながら、最後の場面の最後のセリフに向かって揺れながら進んでいく。

 おまけに、登場人物が、突然別のキャラクターに変身する。今回の「じいちゃんの日記帳」も、今を生きる青年がいきなり62年前の青年になったり、アロハシャツ着て仕事していたホテル従業員が、突然62年前の軍人になったりする。それを、できれば、そのままの服装で、演技と観客の想像力だけでつくっていきたかった。

 しかし!「そりゃ無理だろ」と言われると、すぐに「そうなんですよ。だから今回は戦時中の衣装を着てもらおうと思って」とポリシーをも曲げられるところが僕のよさなんです!「その戦時中の衣装どうするの?」…あ、考えてない。

 インターネットで調べると、軍服の模造品が売っている。しかし高っ!頭の先から足先まで揃えると一人分4万か5万か?「無理だ…つくろう…(タラッ)」

 舞台監督が、軍装を精密なイラストで説明している本を取り寄せて研究を始めた。当時を知るお客さんにも納得してもらえるようなレベルのものでなくてはならない。舞台監督と奥様(女優)が、量販店で千円もしないような安い作業服を改造して当時のものに似せて縫い直した。それを国防色に染めるのだ。染める担当は僕だった。染料はここから購入。

 茶色、緑、黄色、紫の染料を調合して国防色を出す。出ない。出ろ!出ない。3着目でようやくこつをつかんだ!作業服を国防色に染める技術では今、世界中で私の右に出るものはいない筈だ。

 さらに、舞台監督は100円ショップからベルトをたくさん買って、腰に巻く弾薬入れとか、拳銃のホルダーだとか、脚絆だとか、いろいろ作って行く。「階級章はどうする?陸軍だとこうで、海軍だとこうなんだよね。このホンの設定だと、コレのコウだと思うよ」と、目が輝いている。楽しんでいるのか?でも、奥さんはあきらかに苦しんでいる。夜中の3時にミシンを踏んでいると、「襟の形が違う」と怒られて夫婦喧嘩したそうだ。涙ぐましい!

 舞台監督のこだわりのおかげで、かなりいい感じの軍装ができあがった。しかし、そのままではきれいすぎる。リアル感を出すために、絵の具で血をつけたり泥をつけたりしなければならない。
着用する役者は「で、できません。ボ、ぼくにはそんなこと!」僕たちは夜中に夫婦喧嘩までしながら作った労作に、涙を流しながら絵の具を塗りたくるのだった。

「じいちゃんの日記帳」制作記2

 浅田次郎の「輪違屋糸里」は好きな小説だ。それがテレビドラマになって9日の夜から2夜連続で放送された。

 ストーリーもセリフも、原作にほぼ忠実。しかし、原作のファンには物足りなかった。新撰組の芹沢鴨暗殺を”百姓たちによる武士殺し”とした浅田次郎の解釈の面白さがでていただろうか。「あんたは女が怖いのや、女子供といっしょに田畑耕す百姓やから…」刀を振り上げる土方歳三に言い放つ糸里のセリフに、小説を読んだときほど迫力を感じないのは、女優の力量ではなく、ドラマ全体に渡って力点のおきどころが曖昧だったからではないだろうか。

 テーマをみせるというのは難しい。いや、テーマを隠すと言った方がいいかも知れない。僕の書く芝居は、「わかりやすい」と言われたり、「わかりにくい」と言われたり、同じ作品でも意見が分かれる。ストーリーもさることながら、一番描きたいことは「これです」と看板にしないから、直感してくれる人と、くれない人(それは書き手の力量不足なのです)の違いだと思う。

 脚本は、毎回、反省と自己嫌悪の連続だ。「じいちゃんの日記帳」で、僕が何を描きたかったのか伝わらなかったかも知れないという恐怖。デイトレーダーの孫は、祖父の悲惨な戦争体験を知った後も、何事もなかったように相場の話しをする。人間の変化していく様をみせるのが”物語”の常道だとすれば、変化していないように見せるやり方は、僕のような下手な書き手がやり通せることだろうか。

 中学校の先生から電話がかかってきた。今回の公演をみた中学生に感想を聞いたら「感動した」と言ってくれたらしい。「よくわからないけど感動した」と言ってくれたらしい。

 劇団内でも議論になるが、僕は”よくわかる”芝居がいい芝居だとは思わない。僕が芝居にのめりこむことになったのは20数年前。野田秀樹の「小指の思い出」、渡辺えり子の「ゲゲゲのげ」、竹内銃一郎の「あの大烏さえも」、つかこうへいの「熱海殺人事件」,唐十郎の「ジャガーの眼」…などなどと出会ったときの「よ、よくわからないけど、なんなんだこの感動は!」というあの感触が忘れられない。ストーリーが飲み込めなくても、作者が仕掛けた”思い”が脳裏にひらめいた瞬間、感動するのではないかな。

 「じいちゃんの日記帳」を観た中学生もそうだったらいいのだけど、きっとそうじゃないな。僕にはそんな力量はない。…反省と自己嫌悪の日は続く、次の作品にとりかかる日まで続く。

「じいちゃんの日記帳」制作記3

 Tatsuは、先に劇団に入っていた高校時代の同級生YuutaとNaotoに誘われてというか、騙されてというか、成り行きで5年くらい前に入って来た。Naotoは本気でプロの役者を目指しているだけあって、与えられた役を器用にこなして重宝していたが、自分の夢をかなえるために東京に旅立ち、そのNaotoの担い始めていた役割を、Tatsuが背負い込んだという訳だ。田舎のアマチュア劇団では若手男優は貴重な存在だ。

 劇団のライフワーク的作品と位置づけている「朗読劇ほたるかえる」。この作品で、若手男優が一遍の詩のように綴られた美しい文体の遺書を朗読する。”詩を編む心優しい青年が軍人に変わる”という刹那さを読み方で表現させている。Naotoがやるようになったときに思いついた表現だ。Tatsuはこの役をすっかり自分のものにした。技術ではなく、彼が、遺書を書いた特攻隊員の気持ちに一生懸命添おうとした成果だと思う。

 Tatsuは、普段は自己主張もしないし、感情を表に出すこともない。(どんなに、劇団内でお姉様方にいじられても)

 「じいちゃんの日記帳」で、Tatsuは初めて主役級の役をこなさなければならなかった。しかも、今を生きる若者と、戦時中の極限状態を生きる若者の二つの人格を演じ分けなければならなかった。当然、他の役者からのプレッシャーも厳しかった。ほとんどの役者がセリフを入れた頃も、残業が入ってなかなか稽古に来れないTatsuは、まだ半分も覚えていなかった。この芝居はTatsuの演技にかかっていた。

 「手榴弾を渡すってどんな気持ちだ。お前のは、お見舞いに行ってお菓子を渡しているようじゃないか」「手榴弾の重さが手に表現されていないじゃないか。そんなに軽いのか」そんなダメの出しに、彼は口答えもなにもせず、次の稽古のときには別の演技を作って来た。公演1週間前、彼にプレッシャーをかける劇団員はいなくなった。稽古中、”妻を亡くして泣き崩れる演技”のあとの彼の目が潤んでいることをみんなが知ったからだ。Tatsuの芝居は、まわりに余計なことを言わせない芝居になった。

 公演が終わって、飄々とヒョロヒョロしているいつものTatsuにすぐに戻った。だが、僕は思っている。Tatsuは、今度の芝居に自分の生き方を懸けたんだと、僕はそう思っている。

劇団いぶき

劇団いぶきは、鹿児島県知覧町で40年以上活動している劇団です。