劇団いぶきについて
「劇団いぶき」は昭和52年に知覧町連合青年団の演劇部として発足しました。当時青年団が、新制作座というプロの劇団の公演を主催したのをきっかけに、「自分たちも演劇をやってみよう」と話が盛り上がって出来たのだそうです。そのころから青年団活動の一環として「演劇活動」が取り入れられ、その後それはひとつの伝統になりました。
昭和60年頃、東京では赤テントとよばれた状況劇場や、つかこうへいの芝居が圧倒的な支持を受け、さらに野田秀樹の劇団夢の遊眠社が東京の若者たちの間に演劇ブームを巻き起こしつつありました。私達が、先輩たちから「劇団いぶき」を引き継いだのはそんな頃でした。まだ20代前半だった私達は当然のように東京の演劇文化に憧れました。そして東京の芝居をここでやろうとしていました。しかし、それは必ずしも正しいことではなかったように思います。
さて、私達は青年団の中で演劇活動を引き継いで、たくさんの芝居をつくりました。県の青年大会で3年連続の最優秀賞、全国青年大会でも舞台美術最優秀賞と創作脚本賞を受賞しました。そして、若者はおじさんになり青年団を去りました。私達は次の世代の青年団員たちに演劇活動も渡したつもりでした。ところが、時代の流れか、青年団はそれじたいの運営に行き詰まりつつありました。とても創作演劇をやれそうな状況ではなくなりました。私達はOB風を吹かすのは嫌でしたが、演劇活動を通じてならなにか後輩たちの手伝いが出きるかも知れないと思い、青年団を核にした町民劇団の創設を提案しました。しかし、青年団は「先輩たちが演劇をやりたいのならどうぞ」と言って、劇団いぶきを手放してしまいました。私達も少しとまどいましたが、「いぶき」がなくなると寂しいので「いぶき」という名前をもらって劇団を創設しました。
私たちの芝居は、脚本、音楽、振り付けをはじめ、すべてが劇団員の創作によるものです。素人の手作りでなおレベルの高い芝居を目指しています。このオリジナルということには、とことんこだわろうと思います。
今、日本中の子どもたちが同じ文化を持っています。同じテレビ番組を見て、同じテレビゲームをやっています。同じ感性の子どもたちが作られています。地方が新しい文化を産み出す力を失い中央から垂れ流される商業主義の文化が日本中でのさばっている時代です。かつて、優しさも厳しさも、その地域独自の文化のなかで育まれていたはずなのに、今はなかなか地方の文化を地方の人間が認めない世の中になりました。マスコミに取り上げられたとか、中央で認められたとかの尺度でしかものを見なくなりました。私たちは、もっと、新しい文化を産みだし、地域独自の価値観で認め合うということをしなければいけません。
私たちは、オリジナルの芝居をする劇団です。脚本、音楽、ダンス、すべて自分たちでつくります。借り物はひとつもありません。私たちは新しい文化を産みだしたいのです。
創りだしていこうというとする力こそ地域に活力を与えるものだと私たちは考えています。だから私たちはオリジナルにこだわろうとしています。20代の始めの頃、東京の演劇に憧れて、ここでそれをやろうとしていたことが、必ずしも正しいことではなかったというのはそういうことです。
私たちがやるべきことは、ここで新しいものを創っていくのだという意気込みを持つことなのです。地域に根ざした劇団として私たちにできることを私たちなりに模索していくつもりです。
1998年4月 劇団いぶき